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人やら人外、ついでに“元は人”まで引っくるめ、善くも悪くも様々に様々な色合いや濃度・密度・傾向の、多彩な精気の満ちたる京の都は。これもまた様々な生身の人々の思惑やら欲望やらが織り成す“時代の風潮”なんてものまで絡んでの。奇っ怪にして濃密複雑、明暗善悪 入り乱れて輻輳した末の“陰気”の溜まりし、不安定な力場にもなりやすいのだとかで。
“何のための四聖門なんだか、だよな。”
当世の最新学術でもある風水や陰陽五行の理ことわりを用い、大地の気脈、精霊たちの勢力配置などなどを緻密に計算し、それにて遷都したという都であり、その護りにと、四方を聖獣たちの名を冠した門にて睨み、頑強な結界を周到にも張ったというに、
“選りにも選ってその内側にて、怨霊の素を濃密に育んでおるのだから世話はない。”
器量の至らぬ者ほど、妬みや嫉そねみを抱きやすく。かといって、安寧の世には功名を挙げる機会もさしてなければ、身の立てようにはますますのこと、自身の才能よりも羽振りのいい者との繋がりこそがものを言うよな、要領のよさばかり必要な“奸計優先”の気風が求められ。そんな醜い泥仕合に敗れたその結果、凋落し世を拗ねた者らの、それこそ八つ当たりや退屈しのぎに端を発した、悪行や謀りごとの数々もまた横行し。そこから発するは…いつの世も同じこととて。何の罪も科もないままに、一方的で身勝手な腹いせから傷つけられし、力なき者らの深い哀しみと純粋な憎しみから絞り出される、嘆きの涙と激しい慟哭。怨嗟の輪廻は一旦走り出したら容易には止めようがなく。そこいらに蟠わだかまりし地縛の恨みや呪いの思念に、容易く搦め捕られては増幅されて。本来の恨みの対象さえ見失い、やがては誰であれ手のつけられぬほどもの暴走を始めてしまうから。そこで……………。
“…な〜んてな話の持って来かたをすっと。
それを成敗する俺らは、まるで徳の高い正義の味方みたいじゃねぇかよ。”
それこそいかにも悪ぶった言い方にて、そんなの御免こうむるぞと言わんばかり。場外からの視線を“けっ”とあっさり、その薄い肩をひるがえして振り切った、金髪金眸の術師殿。(いやん) そんな彼の金の髪が、ところどころで途切れる天井からの月光を受け、鈍く光っては息づいて見える。特に慎重に構えてはいないが、日頃の身ごなしの洗練がこんな場でも物を言い。古びて煤けて今にも割れそうなほど年代物の板張りの廊下は、歩を運ぶごとに乾いた軋みをかすかに立ててはいるものの、猫か犬かと思われそうなほどにも小さな小さな物音に過ぎず。天井板どころかその上の屋根自体も穴だらけという廃屋のこととて、夜目の利く身を頼りにしての、灯火もないままの進軍を続けて辿り着いたは、大きな土蔵の金枠つき扉前。立派な寺院や大掛かりな大仏殿なぞ建立しの、広大壮麗な都を整備しのと、膨大な人足を総動員しての大規模な造成や都市整備などなどがこなせるようになってはいても、まだまだ大陸や半島からの渡来人に頼りっ放しな傾向も強く。朝廷関係の建立物ならともかく、一般市民層の住まいや邸宅においては、時代遅れの未熟な建築施工術しか普及してはいない時代。さして手の込んだ造作や工夫もなければ、子供にでも平面図が描けそうなほど単純な間取りが当たり前な母屋の奥が…そのまま蔵と一体化されている、当世には珍しい作りの屋敷であり、
“物への執着の極みを露骨に残してやがんのな。”
それもまた、金に飽かせた道楽のうち。かつて此処に住まわっていたのは、よほどに名のある権門か豪族か。帝の眷属でもこうはいかぬというほどもの、豪勢な邸宅と庭を保持しておって。そんな広々とした屋敷の奥向きで、誰の目も届かぬのをいいことに、珍しいものや美しい宝の数々を人知れず集めに集めていたそうで。噂によればその中には、生きたままの美女たちや、一体どういう経路で届くのか、金髪碧眼、紫檀の肌など、風変わりな容姿風貌の子供も多数いたとか。しかも、ここからはどこまでホントか怪しい話だが、そんな屋敷は管理がずさんで、何度も何度も失火騒ぎを起こし。その度に、此処に閉じ込められていた哀れな存在たちは、いち早く逃げ出した家人たちから忘れられ、置き去られての悲しい惨死をしたという噂だったから、
“そんな場だからこそ、善からぬ思念も立ち去れずにいるのだろな。”
抗うことも出来ぬまま、強引にこんなところへ押し込められていた間の妄執と、そんな理不尽な仕打ちの末、絶望の中で味わった壮絶なまでの死への恐怖とが、彼らの魂をこの地に焼きつけたか縛りつけたか。ついには没落した結果、今や誰も近づかぬようになってしまった、こんな寂れたところへと。手向けもされず、浮かばれぬままに依然として繋がれているだなんて、
“それではちーと、哀れが過ぎよう。”
慈善や施しをする気はないけれど、負の気脈が一か所にてだけあまりに強いと、他の気脈に偏りが出る。本人の体内に意志の力から滲み出してる“気力”だけでは足りぬとなれば、周囲の精気や気脈からも力を導いて使ってる導師の端くれ、陰陽師という身である以上、
“気になる障りは迅速に除いておいた方がいいってな。”
そういう言い訳…もとえ、建前があっての行動らしいから………素直じゃないねぇ、相変わらず。(苦笑) まま、ここ一番という退治・対決の場にて、善からぬ意志が思わぬ邪魔をしたがため、念咒を膨らますための馬力の補給が出来ませなんだでは洒落にもならないのは事実だし。誰へともつかない弁明を、されどそれさえ邪念と払拭し、
「………。」
なめらかな曲線が縁取る瞼を、頬の縁へと静かに伏せて。深い深い念じに入る。瞑想にも似た意識の浄化。余計なものを削ぎ落とし、鋭く純化させて尖らせた意志のみを、どんどん意識の奥底へと沈めてゆく。草の上にて露に弾ける月光のいたずらも、梢を揺らす風のそよぎも感知しない、雑音も体温も遠のかせた、自分の裡(うち)なる器の水底。そこへと築くは、鋭利にして強靭な槍の矛先。体内の気脈をじっくりと練り上げ、殻器をもたぬ陰体たちを切り裂く得物を、自身の身のうちへと構築してゆく。………と。
《 そこにおわすは何者じゃ?》
自分たちへの脅威を嗅ぎ取ってのことか、早くも何者かの気配が滲み出して来、
《 力なき者はとっとと立ち去れ。此処は冥府の入り口ぞ。》
雨風に晒されつつも辛うじて残りし屋根の残骸。それが廊下の一角へと落とした陰が作った闇だまりから、異様な響きの声がする。
《 せっかくの生命の灯、喰われとうはなかろうぞ。》
《 それとも我らに手を取られ、大人しく冥府へ逝ぬか?》
声が重なり、何者かの影が浮かぶ。老若男女、様々な姿や年齢の元は人だった影だろうが、
「…自分でも昇天する方角を見失いし者らに、どうやって冥府への道が判ろうかの。」
眸は軽く伏せたまま、そんな一言をくっきりと。周囲の夜陰に染ませるように、金髪痩躯の青年術師が、言ってのけたるその刹那。
――― 小賢しいわ、この童っぱがっ!
大きな声がしたと同時に、ずずんっという足元からの振動があって、廃屋が地響きに大きく震えた。足元よりも屋根が落ちないかと頭上が心配だよななんてこと、念じの隅にて思う余裕があったのは。打てば響くで現れたほど、結構人懐っこい邪妖たちなことへ、
“これなら案外、此処から剥がすのも容易かもな。”
対処への目処を立てられたから。出されたちょっかいにもその思念を乱すことなく、深い深い念じによって咒力を練り上げて、さて。
“とりあえず…。”
相手の敵意や攻勢を削らねばと、狩衣の前合わせ、直線の重ねの隙間に差し込んだ指先が摘まみ出したは、特殊な字体を更に独特な崩し方で表してある“咒詞”が綴られし、強力な咒符が何枚か。それを露にした途端、周囲の空気が堅く張り詰めた。
《 おのれ、術師か。》
《 我らを成敗しに来やったか。》
敵意に満ちたざわめきは、だが。恐れて逃げたり消えたりはせず、むしろ挑発を受けての反発で育ったかのよに、膨らんだ気さえして。
“まあ、巻き添え食ってるだけな連中もいるのだろうが。”
人に仇をなすのが本意ではない、単なる気配だった存在もあろう。自分が既に肉体を失ったことに気づけずにいて、文字通り迷っているうち、先人だった地着きの霊体やら物の怪やらに取り込まれてしまった気の毒な存在。そんな者らをこそ解き放ってやりに来たのであって、
“さて、まずは余計な邪鬼どもを一掃せねばな。”
邪まな悪意・敵意が強けりゃ強いほど、聖なる存在が無垢であるところに付け込まれ、その魂が侵食される。それが精神修養などの修行を積むことで得た悟りによる清らかさであるなら、その神々しさは格別で。善人たちの魂を黙っていても引き寄せるほどに、濃密にして芳醇な気脈を手に出来る。こやつらが徳の高い存在を喰うと長生き出来ると思い込んでいるのは、そこから来てもいて。但し、余程に大層な格の者でもない限り、相手の魂の核、聖なる性質までは制覇出来ないから。瘴気でくるんで分厚い泥にて囲い込み、何とも処理されぬまま取り込まれているだけの筈であり、
“それを突き崩せれば。”
今宵の月齢ならば、冥府からの迎えの輿も容易に寄って来ようから。邪妖へ余計な力を与えとらんと、無垢なそのまま、さっさと昇天してもらうに限るというもの。
「…という訳だから。」
顔の前にてピンと立てたる、特別な和紙に記した咒符と咒弊を数枚ずつ。そのまま指を折り曲げれば、扇のように開いて広がり、
「吽っ!」
頭上に振り上げ、すかさず降ろした腕の先。幾枚もの咒弊が、刃のような鋭さ速さで宙を滑空してゆき、
《 なっ!》
《 ぎゃあっっ!!》
確かに紙であるはずなのに。何間だろうか少しほど離れた先の何者かへと、当たった端から突き刺さるから不思議なこと。しかも、そこから青みを帯びた炎を発し、人のような影を夜陰の中へと浮かび上がらせ、
《 ひぃいぃぃっ!》
《 溶けるっ、身体が溶けるぅぅ〜〜っ!》
身もだえしたり暴れたりしてから、姿の輪郭が砂でも落ちるかのように足元へと崩れさり。後には ほわんと、蛍火のような光が浮かぶ。
「さぁさ、片っ端からの大掃除といこうかの。」
梅雨どきにやるもんじゃあないがなと、ふと思ったところも余裕かご愛嬌。やっとのことにて、とんでもない相手らしいと気づいた餓鬼らが、だが、
《 ええいっ、引くな臆すなっ!》
《 逆に取り込んでしまうのじゃっ!》
何で引かぬのかねと、これはいつも思うこと。こちとら一気に完膚無きまで叩き潰さにゃならん以上、一部でも逃げられちゃあ困るから助かるっちゃ助かることだが、骨のある見上げた敵とは到底呼べない、むしろ“愚かの極み”と向かい合うのは、こっちも結構げんなりするもの。
“一時撤退なんてな英断が出来るようなら、こんなところで迷っちゃあいないってことなのかね。”
大きにそうかも知れませんな。無駄のない所作にての封咒攻撃はとめどなく続き、狩衣の袖を鮮やかに振り絞り、左右への制御もお見事に、月光に青く染まりし咒弊は宙を滑空し続けて。それに触れた端から、邪鬼どもがその姿を泥や砂へと戻してゆくため、敵勢も随分と削れたようだったが、
《 なんのっ!》
余程のこと、深い恨みかそれとも妬みかが集積していた屋敷でもあったようであり、
“光を呑んでないのが、結構いるなぁ。”
無垢なる魂を捕まえ損ねたクチの邪霊まで、結構な数が居座っているらしく。ハズレが増え出したことへとちょっぴり辟易し出した、そんな隙を衝かれたか、
――― っ!
宙を舞う咒弊を押し戻す疾風が一迅。夜陰の中から飛び出して来て、
「………つっ。」
その強さに叩かれたことから、蛭魔が思わず眸を庇って顔を背けてしまったほどの。かまいたちのような勢いのみならず、それなりの力を帯びてもいたものか。手に掲げていたものだけでは済まず、懐ろに持参して来た分までも。はらはらと紙吹雪のよに刻まれて、咒符・咒弊が全て散り飛ぶ。
《 どうだ、それで切り札も終しまいだろうが。》
《 念じの蓄えも限りがあろう。》
《 所詮は生身の者の限界ぞ。》
得物を失い、丸裸同然にしたぞとでも言いたいか。餓鬼邪妖の声が幾つも重なって、さも得意げに嘲笑したものの、
「切り札、だと?」
自分の手や胸元から、瞬時にして刻まれたそのまま、風に乗ってぱぁっと飛び散った咒符の残骸、弊の紙吹雪を避けてのこと。ついついそのまま、顔や目元を腕を交差して庇っていたが。聞き捨てならぬ言われようには、さすがに怒ったかそれとも………?
「阿呆めが、面白いことを言うてくれるよの。」
にやりとほころぶ、肉薄な口許。あああ、やっぱり。まだ何か手のあるお人であるらしく。依然として吹き続ける疾風の中。狩衣の袖のあそびや袴の裾、結髪してない金の髪まで、ばさばさばたばたと躍らせ靡なびかせ、翻ひるがえしながら。仄かに伏し目がちになりし視線の先、ちょうど胸の前の中空へと翳かざされたものがあり。
《 …何を。》
まずはと固定されたのが、指を開いた真白な手のひら。吹きくる風を押さえたいのか、正面へ向けて開かれて。………それから、
「結構な勢いの かまいたちじゃねぇか。」
何処をどう吹く風なのか、まるでくっきりと見えてでもいるかのように。もう片やの手、しかも人差し指だけを、開いた手のひらの少し上へと、据えるように翳した次の瞬間に。
――― ぱしっ、と。
弾かれた音が聞こえたようなほど。的確にそこだけを叩いた風と、それによって裂けた彼の指先と。月光という青く覚束ない明かりの中でも、細く尖った指先から流れ落ちる鮮血の流れは見て取れて。それを、恐れるでなく悠々と確かめてから。おもむろにもう一方の手へと重ね、手の甲へと何やら書き記した術師の青年。
「別に弊も咒陣さえも、特には要らぬ身なのだがの。」
女性が指先で紅を引く時のように。ややうっとりと眸を細めて描き上げしは…一体どのような咒陣であったのか。
「手緩いのはさすがに、俺の方でも飽いておったからの。」
血塗られた指、ふっと離せば。残された左手が、夜陰の中に静かに光って力を帯びる。さほどにごつい作りの手ではないながら、それでもそんなことはあり得ない筈。その白い手を透かすほどもの、射るような光を放った咒陣の一閃が、凄まじい速さにて宙を翔け。白刃ひらめいて通廊の先の闇を鋭くも穿てば、
《 ぎゃあぁっ!》
《 はがっっ!》
幾つもの絶叫と共に、さわさわと砂塵の崩れる音が鳴る。
《 な…っ!》
たったの一撃でどれほどの気配が滅したことか。彼の手からその全てを掠め取り、あっと言う間に引き裂いてやった咒弊よりも、数段以上も強力な攻撃だと見ずとも判る。
「どうしたよ。冥府までを案内してくれるんじゃあなかったのか?」
それとも何か? お前らだけで行くことに予定を変更しやがったのか? 小馬鹿にしながら くくくと嘲笑するお顔にも、なかなか堂にいった迫力があって、
《 むう…。》
相手が初めて、その威勢を引き気味にして身構えたものの、
「ほらほら、とっとと逝かねぇかっ。」
血糊で描いた攻撃の咒陣。そこから手のひらを透かして次々に放たれる波動の、何と強烈で破壊力のあることか。ところどころが壁も落ちての崩れようもあってのこと、そんなに狭くはない通廊に音もなく集まっておりし気配の幾らか。相当数をば粉砕したせいか、その勢いのほども弱まったと見え。周囲の空気の重さ、圧迫感のような厚みが心なしか減ったようだし、術師へと向けて吹きつけていたはずの疾風も弱まっており。風に抗して伏し目がちにと眇めていた目許を、何度か瞬く余裕が出て来たその瞬間に。
「…っ!」
まるでよくよく使い込まれた鞭の一振りを思わせるような。そんな風が一迅、隙を衝いての掻いくぐりなんてものじゃあない、真正面から唸りを伴って襲い掛かって来て。ええい、ついでだと。構えていた手のひらを翳し、やはり強力な波動を真っ向から叩きつけたところが………それをも突き崩しての突進を仕掛けて来たから、これは手ごわく。しかもしかも、
「な…っ。」
弾丸のような、強烈な威力の叩きつけの一撃かと思いきや。真っ向からのその攻撃は、蛭魔の翳した手を避けてそのまま…するりと蛇のようにその身へ沿うてまといつき始めたではないか。強打だけを覚悟したところへの思わぬ種の攻勢が、互いの保ちし間合いを飛び越えたのみならず、その奥向き、懐ろの深みへまで飛び込んで来たことへ、少なからぬ驚きに身が竦んだ…それこそその隙へ、
《 風葛よ、搦め取れっ!》
弱まっていたはずの疾風が、再びの勢いを得、しかも次々に同じような蔓と化しては巻きついてくる。
「…チッ!」
ぬかった。せめて守り刀を出しておればと、今更悔いてももう遅い。相手へのはったりも兼ねて、風の刃にてコトを足りさせた判断が甘かったということか。狩衣ごと両腕を、細い胴や腰を、そこから降りての脚膝に至るまで。スルスルくるくると生き物のように巻きついた蔓の綱にて締め上げられて、さしたる時もかかることなく、体の自由を奪われてしまう。
《 なかなかに手を焼かせてくれおったがの。》
《 おうさ。同胞たちも随分と削られたわ。》
どういう制御になっているのか、次々に飛んで来た蔓は1つの意志にて統括されているらしく。衣紋の上をやはり蛇のようにずるずると蠢き、背までも回ったところにて、不意に、しかも一斉に、その触手を力いっぱい締め上げて来た。
「うっ!」
唐突だったこともあり、その勢いに息が詰まった。前へと延ばしていた腕は、左右まとめて頭上へ引き上げられており。腕から肩から這い回ったあげくの蔓の先が、そのまま天井の鴨居にでも伸び、こちらの腕を吊るす格好で固定して下さっているのだろう。
《 さぁてさて、どうしてくれようか。》
《 こやつ、なかなかに徳のある導師ではなかろうかの。》
《 さようさ、この若さでなかなかに強い念咒を操っておったからの。》
舌なめずりが聞こえて来そうな談合が始まっており、
「く…っ。」
何とか緩まないかと もがきつつ、そんな悪あがきの陰にて…せめて頭上の、自分を吊り下げている鴨居を砕けないかと。その手のひらへと念を集めたが、
《 おっと。おイタはいけない。》
「あっ!」
どこからか、やはり蔓が宙を滑空して来て。念を込めてたその手へと、焼けるような一閃を叩きつける。強い一撃は乾きかけていた血糊の咒陣を掠れさせ、集めていた念は拡散されてしまい、
《 油断のならない童っぱだよ。》
《 ああ、怖や怖や。》
からかうように歌うように、そんな声にて虜を嬲ると、
《 やっぱりここは、粉々に切り刻んでしまおうぞ。》
勿体ないが仕方がない。おうさ、こうまで気の強い跳ねっ返りは見たことがないでな。喰うたはいいがその後で、こっちが乗っ取られかねぬからの。勝手なことを言うなと一言、思い切り怒鳴ってやりたかったが、
「ぐ…っ。」
胸や背中を取り巻いていた蔓がしゅるしゅると上って来、狩衣の衿を割って喉元へと幾重にも絡みつく。冷たくて、ところどころに節のあるごつりとした感触が痛い、そんな蔓が、巻きつきながら少しずつその環を狭めてゆくことで、気管を狭め、やがては潰そうとかかっているのがありありと判り。これでは念を練ることもかなわず、
――― もはやこれまでか、と。
さしもの蛭魔でも観念しかかったそんな刹那に。
「此処かぁ〜〜〜〜っっ!!!」
全身を締め上げていた忌まわしい拘束も、執拗で冷たかった無機質の蔓の感触も。あっと言う間に弾け飛んでの雲散霧消。あれほど堅くて強靭だった蔓の全てが、四方へと散り散りに、粉砕されて飛び散って影も無く。だったらだったで、足元が既に離れかけていたほど、宙へと高く吊り下げられてたその反動、床の上へと無造作にも落とされていたはずが、
“…あ。”
落ちることへと抗すことで身を守る、そんな基本の反射さえ起きないほどに消耗しており。一瞬で拘束具が消えたそのまま、この身もまた力なく、埃まみれの冷たい床へ、一気に頽れ落ちるところだったのに。そんな痩躯をお見事にも受け止めた腕があり。ころりと転がってって収まったその先で、
“………。”
覚えのある匂いと温みと。衣紋越しでも判る、腕や胸板の筋骨の張りよう、見上げた角度もいつもと同じ、そんな視野の中に収まる、がっつりとした顎の線や喉元の深み。もはやこれまでかという危機一髪な間合いに必ず現れる“最強の盾”が目の前にいて、自分をやっぱり、しっかと受け止めていたりして。
「間に合った〜っ。」
はあ良かったと、選りにも選って救出に現れた本人の方がどっぷり安心したよな安堵の息をつくほどの、大層きわどい間に合いようになるのは、やはり。護られし側の人が、性懲りのない強情を張るからなのだが。
「〜〜〜〜〜。」
まさに窮地を救われたというのに、蛭魔の側が素直に喜べないのも、これまたいつものことであり。諦めの悪さでは誰へも胸を張れるほど、最後の最後まで粘り続けるのが身上の、そんな自分が追い詰められて。もうもうこれ以上はと見切った末での無念から、壮絶なまでの覚悟をした直後に…庇われると、そこはやっぱり、何と言いますか。この俺様が総毛立つような想いをしたのは何?と。覚悟を無駄にされたようで腹が立つし、ホッとしちゃった自分にもむかつく…というから、やっぱり我儘なお館様であり。でもね?
「痣の他にもあちこち怪我してるじゃねぇか。これって奴らにやられたんか?」
蛭魔がそんな複雑な想いを持て余していることなぞ、まるきり、想像さえしてないままに。懐ろへ掻い込んだ盟主の姿をじっと見回し、その間、その“奴ら”にきっぱりと背中を向けてる、無防備極まりない男を前にして、
「指先のは自分で切った。手の甲のはそれで書いた咒陣だから、怪我なんかじゃねぇが、顔…?」
恐る恐るという所作にて、頬を撫でられていたので。そんなところに何か傷があったかと、ご本人様が怪訝そうな声を出すのへ…皆まで言わさず。大きな手のひらでよしよしと髪なぞ撫でてやってから、
《 何奴っ!》
《 貴様、我らを無視しやるかっ!》
闖入者がいきなり現れたそのまんま、あっさり蚊帳の外へとされたこと。これ幸いと思って逃げてりゃあいいのに、やっぱりそういう深慮が不可能な、どこか哀れな連中なのか。こっちを向きゃれと、さんざんに罵倒しておれば。よ〜し判ったと振り返ったは、漆黒の衣紋に身を固めし謎の助っ人、
「こんの罰当たりめが〜っ!」
その体の輪郭から周囲へと、炎が見えそうなほどにも強力に滲ませたものは、一気に弾けた怒りの波動で。おいおい話の途中だぞと、こちらは蛭魔が掛ける声の取りつく島もなく。怒髪天の状態なままにて敵の方へと向き直り、自慢の大太刀振りかざしての乱闘に発展させてしまう、相変わらずに単細胞な総帥さんで。真っ黒な直垂に真っ黒な袴の、あそびの多い袖や袂、足元へまとわりつく裾を物ともしないで。無駄なく畳み掛ければこその鮮やかにて、人よりわずかに長いめの、手足を体を捌きつつのその上で。いつものようにその手へ招いた、陰体をこそ滅ぼし封じる“闇の刀”を縦横無尽に薙ぎ払い。それはそれは手際よく、片っ端から邪妖をたたんでく。雄々しくも屈強な肩が背中が、これ以上は盟主に触れさすまいとの壁となり。数体まとめて飛び掛かって来る邪鬼めらを、昂然と立ちはだかって待ち構え、
「哈っ!」
巌のようにごつい拳の握りおる、刀の露へと打ち払い、一瞬にして微塵に砕いて、宙へと舞い散らせる凄まじさ。
“凄げ…。”
あんなにやさしく抱えてくれた。こっちの顔を見、恐らくは傷とやらに気づいてだろう、おろおろと取り落としそうな顔してた。
“それが一転しての“鬼退治”だもんなぁ。”
ある意味で現金というか、彼なりの怒りがあれほどあったということか。それへの鬱憤晴らしを兼ねたものだろう、ウチより何倍も脆そうなこの廃屋が、今にも壊れかねないほどもの暴れっぷりを遺憾なく発揮している、総帥殿の大きな背中を見ていると、
“ま・いっか。”
それこそ、今朝方の早くから始まっていた不機嫌ぶり。人のこと放っぽり出してと、色々な意味から“勝手なことを”と怒っていたのにね。あれへもこれへも、文句の一つずつ、絶対に言ってやろうとか思っていたものが。こんな間近にご本人が現れたその途端、憤懣の数々がするすると鎮まってしまうから…自分でも不思議。その波に撫でられて、ついさっき勃発した憤懣もまた、やんわりと宥められている。守ってもらえて、なのに、でも。あれほどつきつきと、痛いような切ないような、やりきれなくって もどかしくって堪らないような。そんな想いがきゅうきゅうと、この胸を締めつけていたっていうのにね。今はもう、ほこほこと。平生の落ち着きに戻りつつあって。あ、でもね、完全に落ち着いた訳じゃあなくって、
“とっとと片付けんか、この野郎。”
こんな地べたへ放っておくなと、それが早くも詰まらないと思えてしまう。やっぱり余裕の威張りん坊さん。
「お…っと。」
時折、総帥殿の盾をこぼれてか、隙を衝いて擦り抜けてくる決死の邪鬼もいるものの、
「あ、悪りぃ。」
「おお、構わんぞ。」
どっちが主だった封滅なんだか。取りこぼしをお手伝い感覚にて片付けては、早く終わらないかしらねと、いい子で待っていたりする。これもまた、彼らなりの呼吸みたいなものなんでしょうけれど……………。やっぱり何だか、人騒がせな人たちだよなと。思ってしまうのは、彼らには余計なお世話なんでしょかね?(苦笑)
〜 おまけ 〜
さすがは乱闘ならお任せの総帥殿で。当初の目的だった邪鬼の封滅も何とか完了し、迷える魂の方も在るべきところへ無事に送り出してから。修羅場が落ち着けば、その後に控えしはお決まりの一幕で。屋敷に戻ってからだと、セナが心配するだろからと。ここでの手当てを言い出したのは蛭魔の側であり。
「何で呼ばねぇかな、こんの強情っ張りがよ。」
ああこんな怪我もしている、こんなとこにまで痣が滲んで何とも痛々しいこと、こんな綺麗な首条へ何でこんな惨いことが出来るのか…などと。あちこちに負ってた怪我をそれは慎重に検分していた葉柱だったが。性懲りのない誰かさんへ、やっぱりついつい言いたくもなるいつもの愚痴を、またもや浴びせかける彼だったりもし。自分にかかれば跡形もなく治せはするけど、けれどでも。襲い掛かられた時は痛かったに違いない、思わぬ反撃へは肝が冷えたに違いないと思えば、そこからついつい、いつもの一言が出るのもしょうがなく。そして、
「うっせぇな。呼ばなくとも探せんだろうがよ。」
これもまたまた、いつもと同じ。せっかくのお綺麗なお顔をつんつんと尖らせて、突っ慳貪なお返事が叩きつけられる。きっと恐らくは、罰が悪いからこその軽い逆ギレなのだろうと判りはするけど。でもねぇ、だって。
「呼んでくれた方が速いって言ってんだ。」
気が気じゃあないままに取り掛かる探査の、何と効率の悪いことか。たかが一言、るいという短い名前を一言だけ。何でどうして呼べないのかと、それがこちらさんには唯一にして最大の“焦れる原因もと”なのに、
“そんなにプライドが大切なのかよ?”
そうは思えないんだがと、そこもまた葉柱には怪訝でならず。いやさ、盟主を貶めたいんじゃあなくってだな。
“引く決断がやっぱり勇気だって判ってる奴だろうにな。”
どうしても形勢が不利ならば、下らぬ見栄からの意地を張り、無駄な費えをして消耗するばかりの無益なんてとっとと見切り、仕切り直しを選ぶ英断の方こそが正しいと、ちゃんと心得ている彼だと知っている。今は背中を向けたとしても、次はこうは行かないぞ覚えてなと退却し、しかも絶対に“負け犬の遠吠え”で終わらせない。それこそ、粘り強くも執念深い奴だと知っているから…ますますのこと腑に落ちない蜥蜴の総帥だったりし。そして、
“………ば〜か。言えるもんかよ。”
どんな土壇場に陥ろうと、彼がいれば怖くなんかない。そりゃあ頼もしい存在、最強の護りの楯であると。こっちからだって認めているからこそ、契約し続けている“式神”でもあり。とはいえ、こういう単独行に出た場合の蛭魔が、頼りあてに出来得る戦力として戦略の中に計上してあった試しは、彼だけに限らず…それが誰が対象でも滅多にないこと。むしろ、そんなものは要らないと言って憚らない、そりゃあもうもう怖い者知らずで可愛げのない、陰陽師殿だっていうのにね。そうと言うと判ってて、なのに“支えるくらいはいいだろう”と、懲りもしないで辟易もしないで、すぐ傍らに居てくれる、沿うてくれる奴だから。いつの間にやら、その存在を思うだけで自分の地力が倍加するよな、そんな対象になっていて。鬼にも神にも後へと引かぬだろう、それはそれは雄々しき男だってのに。自分なんかの他愛ない駄々なんぞに、為すすべなく振り回されているのがまた、たまらなく愉快で愉快で。
――― だから尚のこと、失うのが怖い。
絶体絶命を自覚した、そんな時。いつだって喉の奥が微かに震える。助けとしてではなくのこと、最後に呼びたい名前が確かにある。でも。呼んでも来なかったら? そうと思うのはいつだって、見限られるかもという不安があってのことではなくて。来たくても来られない、そんな窮地にある彼ではなかろうかと胸がつきつきと痛むから。何かあったんじゃないか、それで来られず、自分の悲痛な声だけが聞こえるのだとしたら? そんな無念を与えたくはない。そんな切ない名残りを残しての別れなど御免だから。それでと、喉が凍ってしまう。軟弱なことよと自分でも笑えるが、真相なんだから仕方がないじゃないか。
“こんな馬鹿正直で律義な奴、人にだって滅多にいねぇもんな。”
だから。その意志を疑った覚えは、そういえば一度もなかったかなと。そんなところにさえ、自分の甘さを見いだせて。そして…それが果たして余裕なのかそれとも弱さなのかが、今はまだ判らない青年術師。
「なあ、ホントに今度こういう無謀をするときゃ、頼むから呼んでくれよ。」
「ば〜か。来ると判ってる奴をわざわざ呼ぶなんて、面倒なだけじゃんかよ。」
「うう〜〜〜。」
だったら一遍くらい探さずにいてやろうか。ああだけど、そんなことしたら自分の方が恐らくは保たないのだろうから。困ったことよと情けなくも眉を下げ、ふいっとそっぽを向いたままの、綺麗でおっかない盟主殿の怪我の治療に専念し直す、蜥蜴の総帥殿であり。片や、
“絶対絶対、呼んでなんかやらない。”
それこそ、忌まわの際にでもならない限り、絶対に呼んでなんかやんないと、妙な決意をまたもや固める、こちらもこちらで強情な術師殿であったりし。これもまた一種の“破れ鍋に綴じ蓋”なんでしょうかね。頭上の天蓋のほころびた先、屋根の上の雲間には。明日は何とか晴れそうですよと、それは真ん丸なお月様が…意地っ張りな恋人さんへと手を焼く大地の和子へ向け、苦笑交じりのお顔を覗かせていらしたそうな。
〜Fine〜 06.6.21.〜6.23.
*こういう意地を張るのって、お館様なら し通しそうだなと思いまして。
某『うる星』の決め台詞ではありませんが、
忌まわの際になっても呼びそうになかったり?と思いましての、
長々とした今作でございます。
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